「詰め込み教育」ではなく、「いつも自分でうまく考えて賢くうまく行動できる」ようになることを第一に目指す教育にする

2023年8月17日更新
コーシ先輩の顔 コーシ(35歳くらい)

今のこの国の教育って、家庭でも学校でも企業でも社会でも、とにかくいろんな知識をてきとうに詰め込むっていう、いわゆる「詰め込み教育」が多いんじゃないかな。「これが正解です」とか「これはしちゃいけません」とか「こういう時はこうしなさい」とかっていう固定的な知識をたくさん詰め込んでいくっていう。ただ、そうやって単に固定的な知識をたくさん詰め込んだだけだと、自分が教わってないことに出くわしたら何もできなさそうだし、自分で何か新しいものを作り出していくとかっていうこともなかなかできなさそうだし、本当に自分の未来ができるだけ良くなるようにいつも自分の価値観にあった良い選択をするとかもなかなかできないんじゃないかな。

ソータローの顔 ソータロー(35歳くらい)

まあそれに、どんなに一生懸命たくさん知識を詰め込んだって、実際問題として、自分にこれから起こる全ての物事についての正しい知識を詰め込んで覚えておくことなんて、とうてい無理じゃねえかな。しかも、世の中、今まで起こったことがねえこととか、そう簡単に予測ができねえこととか、事前に最善策がわからねえようなこととかだって、けっこうしょっちゅう起こるよな。時代とともに世の中の形も変わっていって、そこで起こることもかなり変わっていったりもするし。

ソテの顔 ソテ(28歳くらい)

あっ、それはたしかにそうですね。それに、なんか同じような場面で同じような行動をしても、何かちょっとの違いで全然違う結果になっちゃったりすることもありますよね。

コーシ先輩の顔 コーシ(35歳くらい)

そう考えると、できるだけいつもうまく行動できるようにするには、いつもその場の状況に合わせて自分でできるだけうまく考えることができるようになった方がいいんじゃないかな。ある程度基本的な知識はいろいろ持っておいて、あとは必要に応じて知識を増やしながらいつも自分でうまく考えていけるようにした方がいいんじゃないかな。

サキノブの顔 サキノブ(20歳・学生)

う〜ん、なるほど。まあ、コーシ先輩とかソータローさんとかは、いつもそうしてますよね。世間の常識だとかにもとらわれずに、いつも自分でうまく考えて賢くうまく行動してますよね。それでいつも何をやっても良い結果を出してるんですよね。

コーシ先輩の顔 コーシ(35歳くらい)

みんながいつも物事をうまく考えることができるようになれば、みんな、いつも自分の価値観で物事を考えて、自分で自分の人生をできるだけ有意義なものにしていけるようになるんじゃないかな。それから、みんなの仕事の能力とかも上がって、いつも効率よく価値を生み出せるようになったり、新しい便利な発明とかも出てきやすくなったりするんじゃないかな。みんなで協力して何かをするにしても、みんな、よりうまく協力し合えるようになって、みんな、よりたくさん得できるようになるんじゃないかな。

ソータローの顔 ソータロー(35歳くらい)

「社会」っていうのは、人の集まりで、一人一人の人間たちが作ってるものじゃねえかな。だから、一人一人の人間たちが変われば社会も変わるんじゃねえかな。人間は猿よりも賢いんで猿よりも良い社会を築いて豊かに暮らせてるんじゃねえかと思うけど、みんながもっと賢くなれば、もっと良い社会を築けてみんなもっと豊かに幸せに暮らせるんじゃねえかな。

ソテの顔 ソテ(28歳くらい)

あっ、それはみんなにとってとても良い社会なんじゃないですかね。それが実現出来たら、それはみんなにとってとても価値のあることなんじゃないですかね。

ソータローの顔 ソータロー(35歳くらい)

それがみんなにとってとても価値のあることなら、それは社会の重要政策として力を入れて取り組んだ方が良いんじゃねえかな。民主主義国家だとかの社会っていうのは、そもそも、みんなの人生をできるだけ有意義にしたり、みんなをできるだけ幸せにしたりするためのものだと思うし。

コーシ先輩の顔 コーシ(35歳くらい)

みんながいつも自分で物事をうまく考えることができるようになるには、具体的にどうやったらうまく考えることができるのかを理解してもらったり、いつも自分で物事を考えるような習慣をつけてもらったりするのがいいんじゃないかな。ちなみに、「考える力を考えよう」っていうスマートフォン用アプリは、みんなをそういうふうに賢くするために作ってみたもの。

ソータローの顔 ソータロー(35歳くらい)

物事をうまく考えるのには、たしかにその物事に関する知識もいろいろ必要だけれども、知識っていうのはあくまで、物事をうまく考えるための道具みてえなもんじゃねえかな。そもそも物事をうまく考えるやり方がわかってねえと、どんな知識が必要なのかもよくわからなかったりするだろうし、持ってる知識もうまく使えなかったりするだろうし、なかなかうまく考えられねえんじゃねえかな。それから、いつも自分で物事を考えるような習慣がついてねえと、知識があろうがうまく考える能力があろうが、特に何も考えずに持ってる知識も使わずにてきとうに過ごしちまっててきとうな結果になっちまうこともけっこうあるんじゃねえかな。

サキノブの顔 サキノブ(20歳・学生)

あっ、実際問題として、ちょっと考えればもっとうまく行動できたことなのに、なんかついあまりよく考えずに行動しちゃって、後になってから後悔するっていうこととかもけっこうあるかなあ。

コーシ先輩の顔 コーシ(35歳くらい)

国語だとか数学だとか理科だとか社会だとかの教科の教育についても、まずは「いつも自分で物事をうまく考えられるようにしよう」っていうことを一番の目的にして、その上で基本的な知識とかよく使う知識とかはある程度覚えておこうとかっていうようにした方がいいんじゃないかな。例えば理科とかだったら、単に用語とかを暗記してそれが書ければいいとかっていうんじゃなくて、その現象とかに関する物事をうまく考えられるようになるように、その現象とかの具体的な仕組みとか概念とかをまず正確に理解することを重視するようにした方がいいんじゃないかな。まあ、そういうふうにした方が、何の役に立つのかわからないものを強制的に覚えさせられたりしてそれができないと頭が悪いとか言われたりするよりも、やる気も出そうだし学習の効率も良くなりそうじゃないかな。

ソテの顔 ソテ(28歳くらい)

う〜ん、なるほど。ちなみに、教育のやり方をそういうふうにしようとすると、教材の書き方とか授業のやり方とかテストのやり方とかも、今とはだいぶ違うものにしていった方が良さそうですかね。

ソータローの顔 ソータロー(35歳くらい)

そうだな。まあ教科とかにもよるが、今とはやり方をいろいろ変えた方がいいところもかなり多いんじゃねえかな。まあ最近は、大学の入学テストに思考力をはかるようなものとかも入れようだとかってこととかも少しはやろうとしてるみてえだけども、今やってる程度のものじゃあ、やってることはまだまだ根本的には詰め込み教育だと思うし、そういう程度じゃあ根本的な解決にはたいしてならねえんじゃねえかな。



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